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ジャンポールゴルチェ引退

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ジャンポール ゴルチェ2020年1月22日にパリで行われた2020年春夏オートクチュールコレクションを最後に引退しました。
突然、私達は置き去りにされ、その日以降、彼不在の世界が始まりました。
そこでも日々新たに膨大な衣服がデザインされ、制作されていきます。
そして、それに飲み込まれる日常へと戻っていくでしょう。
しかし、私達はジャンポール ゴルチェの不在は決して誰にも埋めらないことを知っています。
アレキサンダー マックィーンの自死により、ブランドは存続しながらも、それに匹敵するデザイナーがこの10年間登場しなかった様に。
偉大な芸術家の影響力は強すぎるとその効果はむしろ認知されにくいです。
なぜなら、それが一般常識として定着し、人々はまるで大昔からそこに有ったかのように錯覚するからです。
特にファッションデザイナーはそのデザイナーの作品を購買してない圧倒的多数の消費者にまで影響を与えています。
私達がマリンボーダーを着用するときや、フーディの上にジャケットを羽織るときにジャンポール ゴルチェの存在を意識するでしょうか?
コルセットを装着しても眉をひそめる者はいないし、あなたの息子がスカートを穿いても心配することはありません。
スタッズやタトゥー柄は言うには及ばずです。
ゴルチェが最初に生み出したわけではありませんが、彼の登場以前にはこれら全てが一般的なものではありませんでした。
これらのアイテムは、以前は使い古された土産物、もしくは一部のアウトサイダーの倒錯した美意識の産物にしかありませんでした。
彼はこれらを美しく再構築し、繰り返しコレクションで発表してきました。
それでは、それらが一般化した現在、彼自身のアプローチ、提案、存在価値は低くなったのでしょうか?
ポール マッカートニーが「イェスタディ」を歌い、以降数多くのミュージシャンがそれをカヴァーしたり、インスパイアされた楽曲を作ったとしても彼の価値は下がるどころか高まる一方です。
それと同じくゴルチェの価値は世界では絶対的なものです。
引退に先立ち、その理由としてジャンポール ゴルチェは18歳で「ピエール カルダン(Pierre Cardin)」の門戸を叩いた自身の50年のキャリアの区切りであることを挙げました。
ゴルチェは自作のスケッチを送り、連絡を受けた少年は母を伴って訪問しました。
それから、50年後、ジャンポール ゴルチェが最後のショーの舞台に選んだのはパリ中央、セーヌ川右岸の劇場「シャトレ座(Theatre du Chatelet)」でした。
シャトレ座はヴィクトル ユゴーが小説『レ・ミゼラブル』を発表し、第二回ロンドン万国博覧会が開催されて最先端の科学技術と共に東洋美術が展示された1862年に建立されました。
以来、数々の演劇、オペラ、ヴァラエティショー、バレェ、そして1906年には映画も上演されてきました。
ピョートル チャイコフスキー、エドヴァルド グリーグ、リヒャルト シュトラウス、グスタフ マーラーらが自ら指揮をここで振るい、自作を発表しました。
かつてセルゲイ ディアギレフ率いるバレェ リュスのクロード ドビュッシー作曲、レオン バクスト美術、衣裳、ヴァーツラフ ニジンスキー出演、振り付けの『牧神の午後』の初演が行われたのもシャトレ座でした。
この露骨な性表現によるスキャンダルな作品はモダンバレェの礎であると同時に20世紀初頭の最高の舞踏、音楽、美術の結実として知られています。
19世紀中に始まり、ベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の芸術の発信地となり、今日まで存続している格式ある劇場です。
革新的でありながら完璧な歴史主義者でパリジャンとしてのアイデンティティを持つジャンポール ゴルチェにとってこれ以上相応しい劇場はありません。
巨大な階段が配置された舞台下のオーケストラピットには本物オーケストラが演奏し、ゴルチェが1989年にリリースした「アゥ トゥ ドゥ ザット(AOU TOU DOU ZAT)」に厚みを持たせました。
そして、これが誰しもが観たことのないスペクタクルでありながら、格調高いオートクチュールであることを知らしめました。